雛人形が流行することになる。文化

形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。

その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。

この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。

江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものがあらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。

この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。
update:2010年02月21日